カーリング精神
北海道の選手たちが大活躍した北京オリンピック。子ども時代、小樽市ですごしてスキーになれ親しんでいた私は、アルペンやスキージャンプ観戦は以前から好きだったのだが、今回は弟に勧められて見たカーリングにハマった。
カーリングは競技もおもしろいが、基本にある「カーリング精神」というのがなんといってもすばらしい。テレビで見ていてもわかるように、カーリングには審判がいない。選手どうしがお互いを信頼して進めていく“セルフ・ジャッジ競技”なのだそうだ。
カーリングのルールブックのいちばん最初には、「カーリング精神」というのが掲げられている。それを読むとびっくりする。「カーラー(注・選手)は勝つためにプレーしますが、決して相手をいやしめるようなことはしません。真のカーラーは、フェアでない勝ちよりも、むしろ負けることを選びます」とあるのだ。
そしてさらに、「カーリング精神」は観戦する人にも求められる。「相手チームの選手のナイスショットにも拍手をお願いします」「相手チームのミスショットに拍手したり、ヤジをとばしたりするこはやめてください」など、とにかくいちばんの基本とされるのは「親切な思いやり」だとされる。
最近は、「手段は問わない。勝ったり稼いだりした方が立派」という“結果至上主義”がやたら持ち上げられている。そういった雰囲気の中で、「いくら努力しても負けは負けなんだ」「ほかの人にやさしくまじめに生きても損するばかりだ」と思い、気持ちが落ち込む人も増えている。しかし、「カーリング精神」はそれとは違う。フェアでないことをするくらいなら負ける方がよい、負けた相手にも思いやりを、と言っているのだ。
いまの時代に忘れられがちなまじめさ、公正さ、やさしさ。それを勝ち負けや技術より大切なものとするカーリング。だから、試合を見ていると、勝敗にかかわらずあたたかい気持ちになれるのだろう。
「全国の学校でカーリングを必修にしてこの精神を教えるべきだよね!」とつい興奮すると、同僚のナースに笑われた。「そんな一方的な押しつけ、カーリング精神から最も離れてますよ。」私が、まずカーリング精神を勉強した方がよさそうである。