少しだけね
「あなたって北海道出身だっけ?」「そうですよ」「いいなあ!」。
これまでもときどき知人とこんな会話を交わす機会があったが、ここに来てその頻度ががぜん増えた。そう、日本ハムファイターズの監督に“ビッグボス”こと新庄剛志氏が就任したからだ。それにしてもすさまじいまでの注目度で、先日、受けた研修会で講師が突然、「新庄監督、いいですよね」と話し出したときは驚いた。誰もがひとこと語らずにはいられないのだろう。
ハデなパフォーマンスが話題になりがちなビッグボスだが、監督就任が決まってはじめてのSNSでの発信ではこう言っている。
「プロ野球の存在意義はそこの街に住む人達の暮らしが少しだけ彩られたり、単調な生活を少しだけ豊かにする事に他なりません」
「少しだけ」という単語が繰り返されていることに、私はとても感心した。考えてみれば、私たちがほかの誰かに対してできるのは、なんであっても「少しだけ」かもしれない。編集者が心を込めて作った雑誌や本が、読者の考えを少しだけ変える。音楽家の渾身の演奏が、聴き手の気持ちを少しだけなぐさめる。それが限界なのではないか。
誰かのために何かをする人は、つい「あなたのすべての悩みを消してラクにしてあげましょう」とか「生き方を根底から変えて楽しくしてあげましょう」と大きなことを言いたくなるが、そんなことができるわけはない。他人ができるのは、あくまで本人が動いたり変わったりすることの手助けなのだ。
最近は医療の場でも、「主役は患者さん」という考えが主流になりつつある。とくに精神医療の場合、本人の治る力を信じて、医者などはあくまでそのサポート役に徹する。
もともと野球とくにファイターズが好きな私は、ビッグボスの登場で、少しだけどころか早くもおおいに楽しませてもらっている。それでももちろん、仕事や対人関係の問題がすべて消し飛んだわけではない。あせらずに、少しだけ楽しみながら少しずつ解決していこう、と思っている。
とはいえ、北海道在住あるいは出身者にとって、なんだか楽しい春となりそう。おおいに全国の人たちをうらやましがらせてあげたい。