あのときは・・・
最近の日本、とにかく災害が多い。豪雨に台風、さらには北海道で大きな地震と大停電まで起きた。
秋がやや深まった頃、和歌山に行く仕事があったのだが、すっかり台風被害の報道はなくなっていたにもかかわらず、場所によってはまだ“被災地”という雰囲気のところもあった。屋根がブルーシートでおおわれた家屋も目につく。
地元の人に「どうだったのですか」ときくと、みな口々にその被害の甚大さを自身の体験を交えて話してくれた。「屋根が大音量とともに風で飛び、どこに落ちるのかと気が気じゃなかった」「医院をやっているが、停電で冷蔵庫に保管していたワクチンがみなダメになった」など、それぞれすさまじい話だった。熱心に語ってくれる彼らの顔を見ながら、「被災直後はそれどころじゃなくても、数か月するとそれを語りたくなるものなのだな」と思った。
これは東日本大震災でも同じだったが、あのときは災害の規模が大きかったから、「とても語れない」という期間はもっと長かった。何度か被災地を訪れたが、「当日はこうでした」と地元の人たちが体験を自ら語ってくれるようになったのは、災害の発生から1年がすぎてからだった。
北海道の地震はどうだろう。あの規模の地震となると、目に見える被害だけではなく小さな被害、不自由もたくさんあり、それをまず落ち着けるのに2、3か月はかかる。改めて「本当に恐ろしかった」と語れるようになるのは、年が明けた頃かもしれない。
そのとき、「もうイヤな経験は忘れて前を向いて歩こうよ」ではなくて、「そうだったの。たいへんだったね」と体験談に耳を傾けてあげる誰かが必要だ。もちろん職場の仲間、友だちどうしでもかまわない。忙しい日常の中で立ち止まり、「それにしてもあの地震、驚いたね」と一度、じっくり語り、聴くことで、心の中を整理する。そんな機会をもうけることが大切だ。
ひとりが話しているときは、まわりは「私だって」とさえぎらずに、「うんうん、そうだよね」と聞き役に徹する。そしてひとりが終わったら、また次の誰か話し出すのだ。
こういう“じっくり振り返り”は、何度もする必要はない。一度で十分。でもやるとやらないとではだいぶ違う。ぜひ試してみてください。