まあ、気にしないで
診察室でよく口にする言葉に、「まあ、気にしないで」というものがある。
なんだか身もフタもない話だが、人生の悩みごとのほとんどには、理由もなければ答えもない。「なぜ職場の同僚が意地悪なのか」「どうして子どもが言うことをきいてくれないのか」「勉強したのに受験に失敗したのは納得がいかない」などといくら考えても、「そうか、そのワケはこれなんだ!」と分かるわけではない。どんな問題もひとつの原因だけから起きるわけではなく、いくつもの条件が重なり、そこにまたタイミングや運の悪さといったスパイスがさらさらと振りかけられ、「どうしてこんなことが!?」という結果となる。そこで「誰が、何が悪いのか」と“犯人さがし”をしすぎるのは、まさに時間のムダではないか。なんだか心の医者らしからぬ話で申しわけないのだが、これが私が30年にわたる精神科医生活でたどり着いた答えだ。
でも、そう分かったからといって、悩みがスーッと消えるわけではない。人はやっぱり、「なぜ、どうして」と考えてしまうものだ。だから、いっさい考えないようにするのではなく、「なぜ、どうして」のモードに入ってしまったときに「まあ、気にしない」とそれを打ち消すようにしたほうがよい。
「そんなに気にしないで」「それは今、考えないで、またいつかってことにしませんか」などと診察室で口にすると、相談に来た人は「えっ!?」と驚いた顔をする。「精神科ってひとつの問題をじっくり考えるところなんじゃないですか。それなのに“後まわし”みたいなことを言われるなんて。」それに対して私が「すべてのことに答えがあるわけじゃないし、まあ、いいんじゃないですか」と答えると、たいていの人は「それもそうですね。なんだ、先生もそんないいかげんなことを言うんですね」とクスッと笑う。
そうしたら、もうしめたもの。そう、「フッ」「アハッ」と小さな笑いとともにちょっと息を吐き出すことで、悩みにがんじがらめにされて凝り固まっている心と体がほぐれていく。そこでふと、「そうか、こうすればいいんだ」と解決策が見つかることだってあるかもしれない。
困ったときこそ、たいへんなときこそ、「まあ、気にしない」。肩の力を抜きながらおまじないのように唱えてみてください。